北方領土は大東亜戦争を終結させるポツダム宣言を日本が受諾を決定する少し前に、ソ連に侵略されました
そしてポツダム宣言を受諾し、武装解除を行なった後に占領されるという完全な侵略です
戦争が終わる少し前に突然日ソ中立条約を破棄し、宣戦布告をしたのはソ連、アメリカ、イギリスのヤルタ協定という密約があったからです日本がポツダム宣言を受諾するまでの間、侵攻してきたソ連軍に対し、日本軍は現地に住む民間人を逃がすため必死に抵抗しました日本軍は民間人を非難させるために、ソ連軍には現地で踏みとどまるように要請しましたが、通達を無視しそのまま南下を続けて逃れようとする民間人を銃撃、引き上げ船の船に砲弾で攻撃し多くの民間人が虐殺されました
ポツダム宣言受諾後、樺太の真岡に駐屯していた部隊は終戦の師団命令を受けていたので、召集解除を進めている所でした
しかしソ連側が襲ってくるかもしれないということを憂慮してソ連に軍使を派遣しました
そしてソ連軍に軍使であると伝え、武器を置くように言われたので武器を置いた後、全員が射殺されました
その後もソ連はまだ侵攻を続け、樺太最大の町、豊原に近づいてきました
豊原は交通の要路であったので、ソ連軍に追われた避難民が沢山いました
真岡は豊原に続く途中の町で、ここを越えられると避難民に大勢の犠牲者が出てしまいます
日本軍はここでも民間人を守るため、23日まで抵抗を続けました
しかしソ連は豊原を空襲し、白旗を掲げた建物や赤十字を示した救護所にも爆弾を落とし民間人を虐殺しましたそしてあの樺太にあった真岡電話局9名の女性電話交換手が最後の放送を伝えた所でもあります
この方達は引き揚げに入らず、自分達の惨状を伝えるため命を賭して、ソ連軍が電話局に踏み込んでくる直前まで伝え、12人中9人が青酸カリで自決された所でもありますその後、25日に日本軍の抵抗もむなしく樺太全土がソ連軍に占領されました
そして北方四島を占領するため千島列島を次々手中に収めました
択捉と国後は米軍が来ることになっていたようで、最初は上陸しませんでしたが米軍が来てないことを知り早速2島に上陸、9月4日までに色丹島と歯舞群島も占領しました
しかしスターリンの予想を裏切り、日本軍が必死の抵抗をしてくれたおかげで目標としていた北海道占領まで侵攻することができませんでしたこのソ連軍侵攻で亡くなった人達は日本軍将兵約3000名、民間人が約3700名にものぼります
当時のソ連兵には規律が無かったため、大勢の民間人を虐殺、強姦、略奪、そして約107万人とも言われているシベリア抑留を行ないました
そしてシベリア抑留された日本人は極寒の地シベリアで劣悪な環境下の中、過酷な強制労働を強いられ34万7千人以上もの日本人が死亡しました(約107万人、約34万7千人はソ連崩壊後の資料によって明らかになった数値)このような条約違反を犯し、本当の侵略戦争を行なったにももかかわらず、国というものは国益のためなら正当な理由であっても領土返還という要求を受け入れることはありません
大事なことは日本人一人一人の意識です
何故、今の日本人は国に関わることに関心がないのか
原因はこの北方領土問題からも読み取ることが出来ます
これもまた日本の教育で北方領土で何があったのか
恐らくソ連に占領されたくらいの認識だと思います
それが戦争終結後に軍事侵攻をされたということを知っている人は少ないのではないでしょうか?
ここでも当然、日教組が絡みます共産主義万歳!、軍国主義(今更)は消えろ!、日本は世界に謝罪しろ!当然北方領土の教育は湾曲したあげくそっちのけですそして旧社会党(現社民党)当時ソ連と親密な関係にあった社会党の国会議員による視察団が収容所を視察しました
ソ連は人道的に抑留者を扱っているという嘘の宣伝をするためだったのですが、ともに食事を取った戸叶里子衆議院議員は思わず「こんな不味いものを食べているのですか」と漏らしたいいます
帰国後、劣悪な環境化、過酷な強制労働をさせられていた日本人抑留者から託された手紙を握りつぶし、「とても良い環境で労働しており、食料も行き渡っている」と国会で嘘の説明を行ないました後に、抑留者帰国後に虚偽の発言だったことが発覚し問題となりました
そして真岡電話局で尊い信念と使命を全うされた12名(9名自決)女性電話交換手の方々
その冥福を祈る「九人の乙女の碑」
しかしここでも腐った左翼の反戦主義者が、沖縄の集団自決のように勝手に湾曲して伝えていました
現在の碑文は 戦いは終わった それから五日 昭和二十年八月二十日 ソ連軍が樺太真岡に上陸を開始しようとした その時突如日本軍との間に戦いが始まった 戦火と化した真岡の町 その中で交換台に向った九人の乙女らは 死を以って己の職場を守った 窓越しに見る砲弾の炸裂 刻々迫る身の危険 今はこれまでと死の交換台に向かい 「皆さんこれが最後ですさようなら さようなら」 の言葉を残して静かに青酸カリをのみ 夢多き若き尊き花の命を絶ち職に殉じた。戦争はふたたびくりかえすまじ 平和の祈りをこめ尊き九人の乙女の霊を慰むかつての碑文は 昭和二十年八月二十日
日本軍の厳命を受けた真岡電話局に勤務する九人の乙女は青酸苛里を渡され最後の交換台に向かった ソ連軍上陸と同時に
日本軍の命ずるままに青酸苛里をのみ 最後の力をふりしぼってキイをたたき「皆さん さようなら さようなら これが最後です」の言葉を残し 夢多き若い命を絶った。戦争は二度と繰り返すまじ 平和の祈りをこめて ここに九人の乙女の霊を慰む
歴史の湾曲ここに極めりこのように日本の根本から腐らせようと日々、腐れ左翼は活動しているのです
自分達の行いがどれだけ素晴らしいか(他人からすれば狂気)をひたすら教えるために
ただのナルシストの集まりだと思いますが昭和43年に稚内を訪れられた天皇皇后両陛下は深く頭を拝礼され、冥福を祈り、御製の御歌が残されています
なすべきを なしをへてつひに命たちし
少女(をとめ)のこころ わが胸をうつ 樺太に つゆと消えたる少女らの みたまやすかれと ただにいのりぬ

↑
日本中の左翼は消滅しろ!思われる方はこちらをクリック
テーマ:気になったニュース - ジャンル:ニュース